普段、私が声を発しているとき、その声は、自分には少しかすれているように聞こえていて。
そのかすれた感じをどうにかしようと、声を上手に出す調整をしてしまう。そうすると、声を出すのに無駄なエネルギーがかかるので、声を出すのが億劫になる。そうなるとまた、声はショボショボとかすれてゆくのでした。
という悪循環。何だか、自分の声、嫌いだなあ。
話は変わって、NVCダンスフロアというNVCを実践するひとつの形態があるのですが、先日、そのNVCダンスフロアを練習する合宿へ行ってきました。
その合宿中に、涙を流しながら嘆きを語る場面がありました。その時、いつもより楽に自然に声を出せていました。その声は普段の声よりも高い声でした。吐く息が全て声に変換されて、体全体が響いている感じ。耳に入る自分の声は綺麗で、声を出していて気持ちいい。
いつの頃からかわからないけど、「男はやっぱり低い声がかっこいい」とか考えていたり、「自分の言うことに自信が持てなくて遠くまで自分の声が届くことが不安」とか感じている(「何か立派なことを言わなければいけない」という考えを持っている裏返しの)、自分がいました。
そして、いつの間にか、そんな自分を表す声になってしまっていたようです。
泣きながら嘆いているときは、そんなこといちいち考えることもできず、ただ、そこにいる自分から声が出ていたのだと思います。
気づいたことがありました。
これまで、普段、声を出しているときは、喉から口を通して、前に、声を出そうとしていました。
でも、泣きながら嘆いているときは、喉から、鼻の奥を通って、頭のてっぺんに向かって、上へ、声が出ていました。
その後、少し探ってみたら、背中のあたりから頭のてっぺんに向かって声を出すと、とても気持ちよく楽に声が出ることがわかりました。(先日、現代朗読ゼミに出たら、尾てい骨から頭のてっぺんへ声を出そう、と指導をもらった。もっと下から出せるみたい。)
ただ、今、この瞬間、ここにいる自分から出る声は、良いとか悪いとか評価をすることなく愛することができて、ただ、私と一緒にいてくれる声でした。