「気づく」というのはとても重要、というのはきっと「そんなの当然でしょ」ぐらいに知られていることだろう。
でも、「気づき」を受け取れないことは多い。多くは「恐れ」が邪魔をする。
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気づきは、自分と対極にある人がもたらすことが多い。たとえば、「男だからこうあらねば」という思い込みがあったことに気づかせてくれるのは、女性だったり、または「男らしくない」と思っている(決めつけて、避けようとしたり、攻撃したくなる)人だったりとか。
自分とは対極だと思っている相手から発せられたシグナルは、受け取りにくい。責められたと感じて反発を持ったり、自分とは関係ない、自分が悪いんじゃない等々と理由をつけて、見て見ぬ振りをしたり。
発信側は「気づいてほしい」と願って発信するのに、気づくどころか嫌がられたり、関係が悪化することも多い。とくに発信側のランクが低い場合、相手が不快感を与えられたと感じると、発信側のやり方・言い方が「悪い」と言われ排除されることも起こりがちだ。
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まず、自分が恐れを抱いているということに「気づく」ことから、「気づき」ははじまるのだろう。そこに気づいてようやく、新たな視点や考えに気づける。
視点や考えに「気づく」前に、感情に「気づく」こと。
ところがどうやら、これがものすごくむずかしい。
日ごろ感情をおさえる“練習”ばかりしがちなので、感情に気づくこと自体がむずかしい。
なんとか感情があることに気づいても、それが「恐れ」や「怒り」――出すのが良くないと思って(思わせられて)いる感情――の場合は、認める(受け入れる)ことがむずかしい。
気づけないのが日ごろの“練習”の成果なら、気づくのも練習でできるようになる。
それがマインドフルネスで、そのおおもとに呼吸があるというのが、わたしの考えです。くわしくはまた別の機会に。
お知らせ
今日3月4日(水)16時から、西荻窪のほびっと村瞑想会で「動く瞑想」を紹介します。
内容は音読療法協会・現代朗読協会でふだんやっていることです。ワーク自体がマインドフルネスのトレーニングにもなるものなので、お試しとしてどうぞ。